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ファースト・フレディもどき

天才のキラメキは儚い。

世界GPから撤退していたホンダが79年に復帰を決定したのは、この天才フレディ・スペンサーがいたから。キング・ケニーと唯一互角に渡り合った若き天才”ファースト”フレディ。現代のGPにおいて圧倒的なパワーを誇るホンダからは想像できませんが、当時のホンダNS500は非力なハンドリングマシンでした。そんなマシンでどうやってキングと闘ったのか?普通に走っていては勝てない。そう彼は少し普通じゃ無かったらしい。

誰よりも速くマシンをバンクさせ、誰よりも速くスロットルをあける。当然リアタイヤはホイルスピン(空回り)します、普通フロントタイヤでカウンター(逆ハンドル)を当ててバランスをとろうとしますが、彼はフロントをインへ向けて???ホイルスピンさせたまま、何故かマシンは旋回力を増して立ち上がってしまうらしい。それを意図的にやっていた。

当然ですがそのような走りをする人は現在まで彼を除いて現れておりません(バリバリ伝説の主人公以外は)。

そして彼は83年キングとの一騎打ちに勝ってワールドタイトルを手にし、翌84年は(ホンダの失敗作のせいで)さんざん転んで、85年に今度は500&250のダブルエントリーでどちらもタイトル取りました(やりすぎ)。しかし86年、原因不明の右手のトラブル(握力が突然なくなる)でレース界から去っていきました。天才のキラメキはいつも儚いものらしいです。

”もどき”ですが、83年もので頑張ってみました。なんとかスペンサーになった、良かった。