*** mini Haruchika Aoki*** >>English







青木 治親もどき

1986年日本全国のミニバイクレースで表彰台を荒らしまくる三兄弟がいた。長男の宣篤、次男の拓磨、そして三男の治親、青木三兄弟である。今回は末弟の治親もどき。
彼を語る上で欠かせないエピソードはWGP参戦までの特異な過程だろう。今でもそうだが、WGPに参戦する選手の多くは母国の国内選手権での活躍をステップに世界へ旅立つのだが・・・
彼は全日本選手権を走ったことが無い!

1988年国内B級クラスになった彼は各地の地方選手権で大活躍する。1992年には藤原克昭と組んで鈴鹿4Hで優勝。活躍を認められた翌1993年には国際A級に特別昇格を果たし、同年からなんとWGP125に参戦したのだ。

グランプリ三年目の1995年、才能は突如として開花する。開幕戦のオーストラリアGPでディフェンディングチャンピオンの坂田和人選手を5周目でパスすると後続をグングン引き離してグランプリ初優勝、若干18歳であった。
続く第二戦マレーシアGPは雨のなか不本意な結果に終わるものの、ランキングトップで凱旋帰国した日本GPでは快心の二勝目をあげる。またこの日は250で宣篤が二位、拓磨が500で三位と兄弟そろって全クラスの表彰台に上がるというおまけつきだった。
その後も順調に勝利を重ね年間13戦中7勝でタイトルを獲得。翌1996年もタイトルを守りきりなんと二年連続での世界チャンピオンという偉業を成し遂げたのだ。

レースに勝つとは、最後に先頭でフィニッシュラインを通過すること。

ハンス・スパーンによる名チューニング、
オランダの生花屋さんブルーメックスによる華やかなスポンサード、
坂田&上田選手も認めた治親選手のライディング、
最高のパッケージングだったと思うのです。

 



Clay Riders